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~妙円寺詣り~
今年は、島津義弘公 没後400年記念の年にあたります。
令和元年10月26日(土)妙円寺詣りに行ってきました。
朝早く家を出て、まずは照国神社へ8時過ぎに到着。
お参りをしながら境内を見ていると、武者姿に扮装した老若男女多数、さらによく見ると 、OO舎と書かれた旗指物も持っておられる。
そのようなグループがいくつもあります。島津義弘公はもとより、薩摩から大変な思いをして関ヶ原へ義弘公をしたい馳せ参じ、撤退の際には、
国元へ帰ることもかなわず、途中で命を落とした忠義の藩士を思い、この日多くの鹿児島(薩摩)人が妙円寺詣りをしていました。
歴史探検隊の山田博幸、久仁子の2名は、朝8時半過ぎ照国神社を出発。
まずは西田橋。
「あれ、欄干にあるはずのギボシがない」
86水害の後、橋は復元したと聞いていたが通れるようにしただけだったのか。
がっかりである今頃 気が付く私は大馬鹿です。
その後、難所の水上坂(みっかん坂)へ。
武者姿をした方に「自転車もいいね」と声かけられました。ちょっとうれしい。
さらに、道中いくつかのボランティアでのエイドステーションがでていました。
声掛けをしてくださったり、暑さ対策の麦茶やお茶、飴をいただきました。
ありがとうございます。
まずはチェスト館へ。
途中老若男女多くの方々を我々は自転車なので、追い越します。
「意外と走れる」クロスバイクで長い距離走るのは初めてなのに、いい感じで走れる。
あっという間にチェスト館に到着。アイスコーヒーとソフトクリームで休憩。
今回は妙円寺詣りということで、頭を守る防護用武具「甲」として「OGKカブト」のヘルメットを使用。
その後、近くにあるわが家へ昼食とシャワーでひと休み。
ここから、午後の部がスタートです。
いざチェスト館へ。
ルートへ戻り徳重神社へ1kmほど走ったところに薩摩街道出水筋の案内版があります。
迷わず左折して薩摩街道へ。
街道入口に、隣の企業の方のボランティアエイドステーションが設営してありました。
ありがとうございます。ここでもう一度短めの休憩。
街道内に5本松茶屋跡の立て札があります。
鹿児島を出て10数km「当時の人はこのあたりで休憩をとっていたんだなぁ」と思いながら周りを見渡すと、道の狭さ、路面の状況、当時の人は歩きでこのような道を歩いて旅をしていたのか、すごいことだと思ってしばし考えてしまいました。
その後、本道に出てから伊集院方面へ。
「あれ?」吉利街道方向がそれほど違わないので、迷わず、吉利街道へ。
狭いすごく狭い。500mほど走ると本道へ。
当時の本道薩摩街道も狭いですが、支道は幅1.5mほどしかありません。
本道に戻って1kmほどで、徳重神社(妙円寺)へ到着。
まずはお参り、すごい数の人出です。義弘公と忠義の侍を思って、多くの人が妙円寺詣りの歌を歌いながら、照国神社から20kmほど歩いてここ徳重神社までお参りをします。 感動しました。
その後、伊集院役場に隣接している伊集院文化会館へ。
義弘公が薩摩へ生還できるまでの、演劇(生還)を観にいきます。
土曜日で仕事をキャンセルしてまで見たかった演劇です。
それは、出演者のなかに探検隊隊長、村場里咲さんが「亀寿姫役」で出演していたからです。
館内で同じく自転車で走ってきた仲間と合流し、演劇の鑑賞。
あっという間に楽しい時間が過ぎていきます。演劇を見終わった感想はというと・・・
「隊長上手い」そして約3ヶ月でこれほどの演技の仕上がり「スゴイ」の一言です。
以前、彼女がトライアスロンや自転車競技に取り組んでいた時と同じくらい強い輝きを放っていました。
公演後、亀寿姫役の里咲隊長と記念撮影。 今後の彼女の活躍が楽しみです。
これで、妙円寺詣りは終了なのですが、伊集院駅の義弘公の銅像前で写真を撮るために駅へ。
撮影後、かがり火の中、武者行列がるあるということなので、1時間ほど待って、武者行列を見て家に帰りついたのは、8時過ぎになっていました。
ここ鹿児島の地で、戦国時代にタイムスリップした今日のサイクリング。
過去と現代を行き来する不思議な体験をしました。
サイクリングで「歴史」と「風景」そして「演劇」まで思う存分、妙円寺詣りを楽しみました。
自転車はいいなぁ、と思った1日でもありました。 来年も自転車で参加したいなぁ。