~重要なお知らせです

 

 私からのお願いです。

3年前、脳梗塞で倒れました。その後、後遺症もなく なんと薬の使用もなく今日まで来ました。

半年ごと(担当医は1年に1回と言っておりましたが)私の希望でCTを撮ってもらっていました。

ありがたいことに、3年間異常は出ていません。 

このまま、10年行けそうですが無理をして5年では皆様に迷惑をかけてしまいます。

休養を入れながら目指せ80歳です。

というわけで休日を増やします。 昨年まで水曜定休でしたが、今年に入り第二火曜日を追加しています。

そしてこの8月より、第四火曜日も追加します。

毎週水曜日にプラスして、第二火曜日そして第四火曜日新しく定休日となりますので、よろしくお願いします。

  

 

サイクルショップ茶輪子 山田

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~妙円寺詣り~

今年は、島津義弘公 没後400年記念の年にあたります。

令和元年1026日(土)妙円寺詣りに行ってきました。

 

 朝早く家を出て、まずは照国神社へ8時過ぎに到着。

お参りをしながら境内を見ていると、武者姿に扮装した老若男女多数、さらによく見ると 、OO舎と書かれた旗指物も持っておられる。

そのようなグループがいくつもあります。島津義弘公はもとより、薩摩から大変な思いをして関ヶ原へ義弘公をしたい馳せ参じ、撤退の際には、

国元へ帰ることもかなわず、途中で命を落とした忠義の藩士を思い、この日多くの鹿児島(薩摩)人が妙円寺詣りをしていました。

 歴史探検隊の山田博幸、久仁子の2名は、朝8時半過ぎ照国神社を出発。

まずは西田橋。

「あれ、欄干にあるはずのギボシがない」

86水害の後、橋は復元したと聞いていたが通れるようにしただけだったのか。

 がっかりである今頃 気が付く私は大馬鹿です。

その後、難所の水上坂(みっかん坂)へ。

武者姿をした方に「自転車もいいね」と声かけられました。ちょっとうれしい。

さらに、道中いくつかのボランティアでのエイドステーションがでていました。

声掛けをしてくださったり、暑さ対策の麦茶やお茶、飴をいただきました。

ありがとうございます。

まずはチェスト館へ。

途中老若男女多くの方々を我々は自転車なので、追い越します。

「意外と走れる」クロスバイクで長い距離走るのは初めてなのに、いい感じで走れる。

あっという間にチェスト館に到着。アイスコーヒーとソフトクリームで休憩。

今回は妙円寺詣りということで、頭を守る防護用武具「甲」として「OGKカブト」のヘルメットを使用。

その後、近くにあるわが家へ昼食とシャワーでひと休み。

ここから、午後の部がスタートです。

 いざチェスト館へ。

ルートへ戻り徳重神社へ1kmほど走ったところに薩摩街道出水筋の案内版があります。

迷わず左折して薩摩街道へ。

街道入口に、隣の企業の方のボランティアエイドステーションが設営してありました。

ありがとうございます。ここでもう一度短めの休憩。

 

街道内に5本松茶屋跡の立て札があります。

鹿児島を出て10数km「当時の人はこのあたりで休憩をとっていたんだなぁ」と思いながら周りを見渡すと、道の狭さ、路面の状況、当時の人は歩きでこのような道を歩いて旅をしていたのか、すごいことだと思ってしばし考えてしまいました。

その後、本道に出てから伊集院方面へ。

「あれ?」吉利街道方向がそれほど違わないので、迷わず、吉利街道へ。

狭いすごく狭い。500mほど走ると本道へ。

当時の本道薩摩街道も狭いですが、支道は幅1.5mほどしかありません。

 

本道に戻って1kmほどで、徳重神社(妙円寺)へ到着。

まずはお参り、すごい数の人出です。義弘公と忠義の侍を思って、多くの人が妙円寺詣りの歌を歌いながら、照国神社から20kmほど歩いてここ徳重神社までお参りをします。 感動しました。

その後、伊集院役場に隣接している伊集院文化会館へ。

義弘公が薩摩へ生還できるまでの、演劇(生還)を観にいきます。

土曜日で仕事をキャンセルしてまで見たかった演劇です。

それは、出演者のなかに探検隊隊長、村場里咲さんが「亀寿姫役」で出演していたからです。

館内で同じく自転車で走ってきた仲間と合流し、演劇の鑑賞。

あっという間に楽しい時間が過ぎていきます。演劇を見終わった感想はというと・・・

 

「隊長上手い」そして約3ヶ月でこれほどの演技の仕上がり「スゴイ」の一言です。

以前、彼女がトライアスロンや自転車競技に取り組んでいた時と同じくらい強い輝きを放っていました。

公演後、亀寿姫役の里咲隊長と記念撮影。 今後の彼女の活躍が楽しみです。

 これで、妙円寺詣りは終了なのですが、伊集院駅の義弘公の銅像前で写真を撮るために駅へ。

撮影後、かがり火の中、武者行列がるあるということなので、1時間ほど待って、武者行列を見て家に帰りついたのは、8時過ぎになっていました。

 ここ鹿児島の地で、戦国時代にタイムスリップした今日のサイクリング。

過去と現代を行き来する不思議な体験をしました。

 

 サイクリングで「歴史」と「風景」そして「演劇」まで思う存分、妙円寺詣りを楽しみました。

 

自転車はいいなぁ、と思った1日でもありました。 来年も自転車で参加したいなぁ。

 

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~秀頼公に会いに行ってきました~

 

令和元年1023日(水)

谷山にある、秀頼公の墓に行ってきました。(伝承)

その後、南九州市頴娃町にある、真田幸村の墓に行きました。

どちらも伝承というレベルではありますが、私はそうであったと思っています。

 

大阪城には多数の抜け穴が在ったといわれています。

落城のさい、秀頼の母である淀君がわが子の命、豊臣の血筋を助けるために、行動をしたと思います。

 

私の考えでは、影武者が家康本陣に向かい、幸村本人は秀頼公と供に抜け穴から大阪港に向かい薩摩へ落ち延びたと思っています。

 

薩摩へ行けば島津は自分を頼って来たものは必ず、助ける。そして強い。

九州が戦国の時、何回か助け求めてきたものの為に、10倍もの軍勢と戦い、これに勝利しています。

関ヶ原の敗走の後、薩摩藩の存続も危ないにも関わらず西軍の宇喜多秀家公をかくまい、徳川幕府と粘り強く話し合い、話を三者納得できる形で納めています。

 

私は大阪の戦いの原因と言われている、豊臣家が京都の方広寺に奉納した釣り鐘に書いてある、国家安康の文字「国安は家康を2つに切ることでなる」という謀反の願いがある。

といういちゃもんから始まったともいわれています。

 

幸村公はわずかな上げ足も取られないよう、ひっそりと暮らし秀頼公を守ったと思っています。真の英雄のお墓は彼の晩年のように山の中にひっそりとたっています。しかし訪れる人が多いので幸村公も寂しくはないでしょう。

                       

下記写真は、谷山にある豊臣秀頼公のお墓 

案内板が見えたら、細い路地に入る。

しばらくすると民家の入り口近くにたどり着きます。そこに秀頼公のお墓がありました。

秀頼公のお墓からの真田幸村公のお墓参り。

鹿児島県南九州市頴娃町へ「鹿児島歴史探検隊」は向かいます。

自転車レースでお世話になった「アグリランドえい」をとおり、お茶どころ頴娃へ。

六文銭が目印の駐車場へ到着。ここからがスタートです。

入口に杖があり、この杖のお陰で無事目的地に行きつくことが出来ました。

「ゆきまるくん」が方言で我々を応援しお墓まで案内してくれます。

結構、険しい山道です。雨が降ったあと苔で滑らないように注意しながら登りました。

秀頼公を見守りながら、幸村公は頴娃の山の中でひっそり暮らしていたのでしょう。

登り口に「雪丸GUIDE」のリーフレットも置いてありました。

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入部師匠

師匠との出会いは、私が大学一年の途中、10代の頃でした。
48年前、奈良にある自宅へ初めて師匠のところへ。

大会で知り合った弟さんに会いに行ったのですが、何かオーラを放つ人がいました。
その人が、入部正紀師匠でした。

その後は、弟さんを1とすると、師匠とは9の割合で
「イリベサイクル」を拠点に行動(遊んでいました)していました。

師匠は競技の先輩で、時々アドバイスをくれます。 適格です。

楽しく苦しい練習でしたが、楽しければ苦しいことはどうってことはない。

そして、いつしか作業場の居候になり、私は大阪の大学に通いながら奈良にある入部師匠のもとへ自転車で通うことになります。 
毎日、学校→トレーニング→作業場のルーティンワーク。
いつしか作業場が、私の居場所になりました。

あの頃、私はいつまでたっても帰らない変な奴でしたが、
師匠やお父様やお母様は一度も嫌な顔をされたことはありません。

食事を作ったからと晩御飯や昼飯をいただいたのも数えきれないほどありました。

果たして作業場では、師匠の仕事の手伝いが出来ていたのか?
今考えると、迷惑をかけていなかったのか?

師匠は仕事を私の前で黙々と行い、ある日その仕事を「これやっといて」
と声をかけてくれます。

私:  目の前でやっていた作業をするもうまくできません。

師匠: 「あっそうか」「いい!!俺がやるから」

そしてまた、私の前でその仕事をやります。
私:  「ああ!そうかー!」うまくできない理由が分かり
    「私がやってみていいですか」

師匠: 「そうかやってくれるのか」
    「おぉ!出来ているじゃないか」「じゃあ、頼んだぞ」

師匠は、手取足取りは教えてくださいませんでしたが、
私にとって一番いい方法で色々なことを教えていただいたと思っております。
そんなやり取りが何度もありました。

その後、何年か経ち鹿児島に帰り
念願だった自分の店を開店させました。
思ったように事が運ばず、苦しい経営が続いていました。

久しぶりに奈良にある師匠のもとへ。
仕事の話しをし、厳しい状況であると報告すると、
「ちゃんとしたホイールを組めるのはお前だけだろう」「やっていけるよ」
師匠に言葉をかけていただきました。

当時、イリベサイクルでの私の仕事を見ていてくれたのだ。
その言葉を聞いて、勇気百倍!
たぶん、私の表情も変わったことでしょう。
店の経営も一気に好転しました。

あれから時が流れ、新元号「令和」を迎えました。

師匠、有難うございました。

昭和、平成の中で傑出したフレームビルダーでした。
令和元年5月3日に入部師匠がお亡くなりになりました。
私にとって大恩人です。
師匠からいただいたご恩は、後輩へ繋いでいきます。

 

※写真は、5月14日・15日に入部師匠に会いに行きました。
奥様に頼んで、思い出のある「ニップル回し」を形見にいただ来ました。
 「師匠、ニップル回し、僕がいただきましたよ」

 

鹿児島の歴史ぶらり散歩  ~ 磯方面編 ~

 

 3月28日 村場さん 山田2人 計3人で磯方面に行ってきました。

 

 

 私、山田の今回の目的は仙巌園内にある反射炉跡と錫門を

もう一度見てみたいという希望がありました

 

 

 朝10時、村場さんをピックアップして、途中、磯街道にある琉球松によりました。

 

ここには灯篭と松があるわけですが、この灯篭は夜道の明かりではなく

 

磯浜に入る琉球からの密貿易船の目印(灯台)だといわれています。

 

 

 そのあと、異人館(紡績所技師館)へ、

国道10号線を車で通る時に外から見ることは多々ありましたが

50年前自転車でぶらりと、遺跡巡りをして以来です。

 

 

異人館の中は薄暗い記憶しかなったのですが、今回とてもきれいになって閲覧しやすくなっていました。異人館の説明などもよくできています。

司馬遼太郎氏も訪れたこの旧鹿児島紡績所技師館へ機会があれば、

またいってみたいです。

 

 

 そして、薩摩切子の工場見学の後、製品見学(販売所ぶらぶら)。

 

 

 いよいよ、仙巖園内へ、反射炉跡は入口のすぐ目の前。

しかし小学生のころ見た反射炉跡の記憶は今回見た大きさの2倍でした。

子供の頃の記憶っていい加減なものだなと思ってしまいました。

 

 

 いい加減な記憶といえば、50年前カメラを持って遺跡を巡りました。(1人で)

 

今度は、拓本を作ってみたいという考えが浮かんできました。

そうだ、もう一度遺跡巡りをしよう!

1人で移籍巡りをするより「歴史好きの村場さんも誘おう」ということになった。

 

 

 知覧に連れていき拓本の話しを、武家屋敷保存会の森氏(自転車仲間)と

話をしていたら森氏が村場さんに

「お前はなんで山田の趣味に付き合っているんだ」

「俺は高校時代、こいつに付き合わされて遺跡を廻らされた」

「山田そうだったよなぁ」と森氏

「えーーーえ 一人じゃなかったっけ」と私。

 

すっかり忘れていました。人の記憶ってあいまいですね(笑)

 

 

 仙巖園内を錫門へ歩いていると示現流の展示してある場所がありました。

 

最強の武士集団新選組、鬼の規則 敵にあったら絶対に逃げてはいけない。

逃げた場合、切腹、もしくは斬首、しかし薩摩藩士とは問題を起こしてはいけない。

 

彼らからも、恐れられていたようです。

 

その最強武道の示現流の展示があります。

みんなにもこの武骨で最強の剣術を見てもらいたいです。

 

 

 そして錫門(すずもん)、あれ思っていたものより小さい。

薩摩伝統の錫をつかった瓦。

 

貴重品だから、この大きさで いいのか。

 

 

 朱塗りの錫門をくぐりお屋敷へ行ってみると、なんとお屋敷内が公開されていました。

 

迷わず、お屋敷内を見学。 屋敷内には、池のある中庭があります。

広い、さすがお殿様の別邸、洋風応接間や沢山の部屋、お風呂もありました。

 女性の係りの人に「部屋が多いですね」とたずねたところ、

 

以前はこの裏にも屋敷があり今の1.5倍ぐらいの広さだったようです。

 

 

 お屋敷を出て裏の山道を歩いてみました。

3月も末、山道には桜が咲き、花びらが風に乗って綺麗です。

すれ違う外国からのお客様も満足げな様子です。

 

 

遠い昔、何度も、仙岩園には入園していましたが、お屋敷内、奥の庭、

 

桜のきれいな山道、発電所、浄水施設、水力を利用した精米機(迫ン太郎)など

 

初めてのものがたくさんありました。

 

 最後の方は時間が迫っていたので、急いでしまいました。

また、今度ゆっくり歩いてみます。

 

~平成31年は私にとって記憶に残る年です~

 

 平成31年は私にとって記憶に残る年です。

 

店を初めて40周年という記念の年です。

 

そして、私個人として小中学生の頃、明治という元号は

 

歴史上の元号であると認識していました。

 

昭和→大正→明治→江戸と過去に戻る元号です。

 

新年号→平成→昭和 3つ戻る歴史上の元号に私の誕生年号が入ってしまいました。

 

昭和は遠く成りにけり。

 

      そして60年前に母に連れられ武之橋の電車道路まで連れていかれました。

 

「今日、皇太子さまの結婚の車列が通る」との事で出かけて待っていました。

 

皇太子さまと妃殿下の馬車が私たち大勢の前を通過しました。

 

7歳の私の記憶の中に今でもはっきり覚えています。

 

その皇太子さまが天皇になられ即位30年、そして今年新天皇陛下が誕生します。 

 

何かいいことが始まりそうでウキウキします。

 

 

 「サイクルフェスタin桜島 2019 」の応援に行ってきました。

 

 

サイクルショップ 茶輪子 40周年後の初のレースが224日に開催されました。

 

まず、志學館大学の木村選手、タイムトライアルはうまく活躍できていませんでしたが、

 

2戦のヒルクライムレースはJCF登録選手のプロも走るなか

 

5位は素晴らしい成績だったと思います。

 

同じ登録選手の林コナン選手も頑張っていました。

 

 

 

鹿児島大学はエース千々和選手がインフルエンザの影響で思い通りの

 

走りができませんでした。

 

その分、後輩選手達が頑張ってくれました。

 

 

 

1戦の年代別タイムトライアルで、男子20歳以下で 馬場埼選手が2

 

男子20歳以上で、牧野選手が3

 

2戦の年代別ヒルクライムで、男子20歳以下で 馬場埼選手が3位 

 

男子20歳以下で 西尾選手が3

 

 

 

そして、DeerMagLeevの川原選手が男子30代以上で 2

 

また、男子50歳以上で DeerMagLeevの渡辺選手が2

 

 

 

若い選手からベテラン選手まで、みなさん頑張ってくださいました。

 

今回、結果が残せなかった選手も、トレーニングは裏切りません。

 

練習を続けていきましょう。

 

 

 

41年目のスタートでみなさん 大きな結果を残せました。

 

これからも小さな力ではありますが、みんなと一緒に努力いたします。

 

がんばりましょう。

 

 

内倉先輩の墓参りに行ってきました。

 

 

 

50年ほど前、私たちは鹿児島 太陽国体へ向けトレーニングをしていました。

 

内倉先輩は無口な方でしたが、黙々とトレーニングをする方です。

 

7歳上の先輩は、走りで選手とはこうあるべきと私たちに示しているようでした。

 

私の眼には走る哲学者という風に見えていました。

 

 

 

先輩とは鹿児島と鹿屋で離れていたため合宿と試合以外では

 

ほとんど会うことはありません。

 

しかし、一緒に走るとその強さと自分に対する厳しさを私たちに教えてくださいました。

 

 

 

大分の合宿で大雨 路面に水が積もると思えるぐらい雨が降った日

 

朝から練習中止と監督から告げられ緊張がゆるみ部屋でブラブラしながら

 

相部屋仲間とふとフロントへ行ってみました。

 

 

 

先輩がウエアーに着替えヘルメットを持っています。

 

皆一気に緊張が走り「内倉さんちょっと待ってください。私たちも行きます」

 

慌てて部屋に戻って着替えていると「誰かが内倉さんだぞ 頑張ろう」と言いました。

 

そして大雨の中、2時間程走って合宿所に帰りました。

 

内倉先輩でなければたぶんあの仲間は走っていなかったと思います。

 

 

 

 先輩は岩手国体のロードレースで16位でゴールしています。

 

当時、実業団登録選手、学連登録選手以外の方では最上位ではないかと思っています。

 

 

 

2020年、いよいよ鹿児島国体が再び開催されます。

 

内倉先輩も空の上から応援していると思います。頑張りましょう。

 

2018年 1113日 74

 

体は小さかったですが、大きな存在の選手が亡くなられました。

 

2019/1/10

 

 

ディスクブレーキの自転車のホイールを考える。

世界の流れの中で私の好き嫌いとは関係なしにディスクブレーキ搭載の自転車は間違いなく増えてきます。フレームとフォークはそれなりにメーカーによる研究が進み、高性能化し、いい商品が出来るでしょう。

 では、試合用ホイールはどうでしょう?

リムブレーキの場合は前輪は12~20スポークでラジアル組みが主流です。私は前輪を固くかつ軽量にしたくて手組みの場合は昔からこの組み方でホイールを組んできました。

スポークはリムセンターをしっかり出し、縦ブレも無いように組み立てます。そして左右のテンションもきっかり同じにしないとコーナーを攻める時によれてしまうために、しっかりと締めます。

 大昔は32スポークで組んでいましたが、現在はリムの強度とスポークの強度が上がってきたので、空気抵抗を減らすためにスポークを減らすことが可能になり、12スポークのホイールも登場しています。

 ディスクブレーキ用のホイールの前輪は、ローターでブレーキをかけるため、ローターからの力が伝わりますのでタンジェント組みでしか組めません。さらに20本以上のスポークで組み付けることになり、回転部の空気抵抗の増加や、重量の増加は間違いありません。

 さらに左右でテンションが違うため走行に影響が出るのではないかと考えています。

いっそナローハブを用いて左右のテンションを一緒にしたらどのような影響が出るのか気になるところです。

 後輪については全く問題ないと考えており、むしろディスクローターが着くことで左右のテンションが近くなっており、良い走りが出来るのではないかと思っています。

ホイールメーカー様はできれば走行時の走りを数値に出して、リムブレーキ・ディスクブレーキ

のモデル両方のホイールの違いを教えてほしいと思っています。

 今度手組でホイールを組む場合、ディスクローター用のハブで、リムブレーキホイールを組んでみたいと思っています。

私は今のところリムブレーキのロードレーサーをオススメしようと思っています。

2018/12/18

MTB草創期の人

家の整理をしていたら、古い雑誌を見つけ、つい整理を忘れ、雑誌を手に取って読んでしまいました。

「今、アメリカではこんなことが流行っています」と紹介の見出しでMTB草創期の人々が写っている写真が載っていました、当時は「そうか、そんなものが流行っているのか」ぐらいに思っていましたが、20数年ぶりに見てみると、アレ、この人はゲーリーフィッシャー、その隣はジョーブリーズ…その隣にはエリックフレッチャーこの人は友達のお父さんじゃないか、そういえばミルバレーの山々をゲーリーと一緒に走っていたと言っていたな。

お父さんは昨年2017年に亡くなっています。

 

彼はゴールデンゲートパークの近くでサイクルショップを経営していましたが、5年ほど前に店を閉じました。背の高い愉快なお父さんでした。

2018/12/10

アーリー事件

 先日のレポートでS君が久しぶりに帰国、来店されたことを書きましたが!

今度はU君も久しぶりに帰国、来店されました。

彼もまたS君に負けないぐらいの破天荒な学生でした...

指宿からトライアスロンのトレーニングを兼ね毎日通学するパワフルな選手でランと自転車は得意なのですが、私どもの中では泳げない(とても苦手)トライアスリートとして有名でした。京都で行われたバイアスロン(当時ディアスロンをこう呼んでいました)で優勝しています。ランと自転車は本当に強かったのですが、トライアスロンでは無名な選手だったが為にテレビ中継では注目されておらず、スタート風景でちらっと映ったあとは有名選手をテレビカメラが追いかけた為、彼が次に移ったのは表彰式だったという彼らしい優勝でした。現在シアトルで仕事をされ成功されているようです。

息子さんの進学先の情報収集に帰国されたとのこと、以前、U君とのエピソードNo.1をレポートに上げましたが、知らない人の為にもう一度書きます。

 ある日の昼、「山田さん!飯食いに行きませんか?」おうU君、そうだな今はお客さんいないし行こうか。なんと昼食の為に店を閉めて車で出かけました。「山田さん、いい店があるんですよ」そうか、じゃあそこに行こう。ここです“アーリー”U、ここ焼肉屋じゃないか、お前ベジタリアンだろう?「いやいや、ここにおれの好きなメニューがあるんですよ!」というわけでアーリーに入店、なんか好きなもの注文しろよ、おごるよ。

「何言ってるんですか、僕が誘ったんで自分のは自分で払いますよ!」そうか、ウェイトレスに昼定食を注文し、U君は「じゃ、おれはサラダバーで」ウェイトレスはサラダバーだけですか?「ベジタリアンだから」ウェイトレスはわかりましたといって戻っていき、しばらくするとサラダボールが持ってこられた。「先に食っていいですか?」にいいよと返事を返すと、サラダバーから山盛のサラダを持ってきてあっという間に食べてテーブル備え付けのティッシュでサラダボールをきれいに拭き始めたので何をしているのか聞くと、

「次のサラダを違うドレッシングで食べたいのでドレッシングが混ざるのが嫌なんです。」

というわけで、私の昼定食が出来上がってくるまでに彼はサラダボール5~6杯食べ、ティッシュの山がそこにはありました。そして会計の時、ああ、今日は俺がおごるよといったのに対して、「何言ってるんですか自分の分は自分で払うといってるじゃないですか、山田さん、はい、僕の分50円」と50円を手渡され「払っといてください」と言われました、おい、サラダバーの50円は何かメニューを頼んだ時につける価格じゃないのかと聞いたら、「山田さん、メニューにはそんなこと書いてありませんよ。ハイ!50円よろしく」

    山田 心の声(ゼッタイこいつとは飯食いにいかない)

でも、一緒にいると人懐っこく楽しいアスリートでいい人なんですよ、実家は三重県なのに帰国したときは必ず寄ってくれます。

 

 楽しいU君にあえていい日でした。

2018/11/24

20年ぶり、Sさんの来店

先日霧島市出身現アメリカ国籍のSさんが来店されました。丸くなっていましたがすぐにわかりました。

当店がレース活動を一生懸命行っていた20年以上前によく来ていた方です、顔を見合わせるとすぐに「ぼくがわかりますか?」と問われたのですが、あ!ツールドトランプに出場した...ここまではすぐにわかりました、少しのタイムラグがあってりゅういちだよな元気にやっているね、彼の高校からの経歴はここではお話できませんが絶対に誰も信じてもらえない、日本の歴史上でもなかなかいないようなぐらいの経歴です。本にすれば絶対売れる!

私の知っている中で頭の良さNo,1、そして変人No,1でもあることは間違いない、そして世界の人々に貢献している人上位にいるのは間違いありません、いい人に会うことが出来るいい日でした。

2018/11/10

 

火を噴いた若手(ヤング)パワー

 12月23日第一回かのやサイクルフェスティバルにフノキ選手、キラ選手、シラカワ選手、コバ選手の若手とサイトウ選手の男子5名、女子選手は美人姉妹ムラバ選手2名、計7名の茶輪子練習仲間が参加しました。

 なんとスタートして間もなくフノキ選手が落車。しばらくしてキラ選手も落車、それにシラカワ選手が巻き込まれて落車。コバ選手はやや離れていたので落車は免れました。その後シラカワ選手は一人で懸命に追い上げ、なんと1分以上の差を詰め最終周に2位まで自分の順位を上げました。その後4位でゴールになりましたがいい走りでした。また、キラ選手はホイール交換の後トップの選手に追いつかれる寸前でレースに復帰。ペースを上げてすぐ後に見えていたトップの選手を見えなくなるまで引き離し、周回差つかずに7位でゴール、いい走りでした。フノキ選手は落車後しばらく動けない状態でしたが、周回遅れでレースに復帰。トップ選手と2位グループの間でレースを展開し、ほぼトップ選手と同じペースでゴールまで走りました。いい走りでした。

 久しぶりにワイルドな走りを見せてもらいました。いいメンバーが育っています。サイトウ選手は50代とは思えない走りで、最後まで多くの若い者を後方に追いやっていました。

 小学生ムラバ妹はたんたんと走り女子1位。中学生の部ムラバ姉はパレード走行後いきなり落車。トップグループを男子と2名で懸命に追い、少しづつ差を詰めるもとどかず。2名で今回のレース最高のゴール勝負、1/100秒差で男子を振り切りゴール。もちろん女子1位です。

2015/12/24

私とサンツアー

サンツアーの河合淳三さんが6月に亡くなられました。

カンパが世界No,1と言われていた頃、大学生だった私にはカンパは高嶺の花だったので、私はサンツアーのFディレィラー・Rディレィラーを愛用していました。

それなりに満足していました、あるとき先輩のお下がりでカンパヌーボレコードのリアディレィラーをいただき幸せいっぱいでこれを装着し、翌日に150kmロードトレーニング、しかしその夜には元のサンツアーに取り換える作業をしている私がありました。

 私の独断ですが、当時のサンツアーのリアメカは世界No1のリアディレィラーであったと思っています。その後カンパのFメカもお下がりがあったのですがこんなものどうでもいいんだけどと思いながら装着、しかしその後このFメカは私の愛車に付けたままとなりました。

私の短いレース経験の中でサンツアーのリアディレィラーは日本初の世界No1パーツ1号ではないかと思っています。

その後のシュパーブグループなどで日本のレースシーンに強烈な印象を与えた前田工業、その前田工業を率いていた河合淳三さんが亡くなられました。

 

さみしいかぎりです。

2013年12月5日(木)HSR 6時間耐久レース

12月1日 熊本のHSRで6時間耐久レースが行われました。

今年3月から始まったトレーニングの会、そこから生まれたマグレーブを主体とする2チームとソロ1名の計12名が参加しました。ソロの戸澤君は落車をしてしまい途中棄権となりましたがこれも実力のうち。トップグループを走っていただけに本人も残念だったでしょう。しかもレース後に予定があるため行き帰りともレースと同じソロ帰り。その名は落ち武者。

約8か月のトレーニングで主力参加者の全員が何らかの形で表彰台に登ることが出来ました。今年は年間で15名が表彰台。上出来です。トレーニングの基礎部分でこれだけの結果が出来ました。頑張った成果です。おめでとうございます。

来シーズンは初心者の方への今年とほぼ同じメニューを、今年参加された方へは次のステップへのメニューという

、2タイプのトレーニングを行います。

サイクリングの方には自転車の基本的な乗り方について教えます。2~3回参加していただければ大事な事を教えられますので是非参加されてください。

なおHSR当日のレースレポートは参加した野下選手が土日にアップします。

HSR九州6時間耐久リザルト.
HSR九州6時間耐久リザルト.pdf
PDFファイル 1.4 MB

2013/12/5

2013年7月22日(火)オートポリス 3時間耐久レース

至る7月15日、大分県のオートポリスで「オール九州3時間耐久ロードレースINオートポリス 第2戦」が行われました。

そこに私たちのトレーニング仲間が7名出場しました。

 

4か月前まではまったくの素人

ここ1か月半ほどはそれでもトレーニングというレベルの時間とレベルでした。

実質2か月半ほどのトレーニングでこのレースに出場しました。

 

私の予想では10位くらいに1名、20位くらいにもう一名、

さらに皆それなりの走りをしてくれると信じていました。

結果は下記のとおりです。

 

しかし、わずかなトレーニング期間でありながらも何年もトレーニングを積んできた選手たちとそれなりのレースを楽しんでくれました。

 

正しいトレーニング方法を行うとレベルの向上はそれほど難しいことではありません。

皆さんもいいトレーニング方法で楽しんでください。

 

大会結果

2013/7/22

2013年7月22日(火)ホイール

「良く走るホイール」雑誌などでよく特集がくまれます。

そこには段違いな走りをするようかのような評価を書かれています。

 

しかし、レース結果を見てみたり、試乗をしてみるとディープリム同士ではそれほど大きな差があるようには思えません。

わずかな差を大げさに書いているのではないかと、私は思っています。

 

ほぼ15年ほど前の私の手組のホイールを当店でレース用にレンタルしていますが、

最新の完組ホイールをお持ちの方もときどきそのホイールを貸してもらえないかとレンタルに来られます。

ディープの厚みが同じならホイールを組みつける技術の差が走る走らないの差ではないかと考えています。

2013/7/22

2013年4月9日(火)ホイールバランスは必要か

お客様から、ホイールバランスは必要か?という質問がありました。

 

普通に考えると必要である、しかしこのバランスを取る機械を私は購入していません。

バランスに敏感だった時代が過去にあったのも事実です。

バランスを取るその商品はいつのまにか廃盤となり消えていきました。

 

私が選手のころホイールを手に取って回すと上下に振れ重心の狂いを感じました。

しかし、自転車競技場でこのようなホイールを使い徐々に70kmほどまでスピードを上げるバイクペーサーをしても、どのスピードでも異常振動は感じたことがありません。

きれいな走路で走るので、ホイールの問題以外、ほかの要素はほとんど入ってきません。

 

理論上は必要であるけれども本当にどの程度走行に必要なのか疑問を持っています。

特にマビック社はわざと重心をずらした後輪を発売していた頃がありました。

カンパニョーロ社は種目によって重心をずらした物とそうでない物を販売していました。

バランスが取れているのは本当に効果があるのか今考えているところです。機械そのものはたいした価格ではないのですが・・・。

車のホイールがよく例に出されるが、変形しないホイールとタイヤの組み合わせです。

しかし、自転車のホイールは上下や横方向にも変形しながら走っています。

体重が乗った状態での前輪、後輪、それぞれのバランスの取り方があるのではないでしょうか。

現在マビック社は完組ホイールタイヤ付きの販売を行っています。過去に重心にこだわった時代があります。

タイヤまで開発されたのであれば真の完組ホイールです。

 

ホイールバランスが必要であれば今こそ全てのホイールメーカーが完組ホイールをで販売してほしいものです。

タイヤのバラツキを考えるとタイヤ交換のつどにバランスをとることになります、費用対効果はまだ疑問に思っています。

 

2013/4/9

2013年1月17日(木)2013年モデル マドン5シリーズ

これからロードの購入を考えている方はこのモデルの

試乗をしてから購入する自転車を決めてください。

 

このモデルはチェーンステーにブレーキを取り付けた最初のロードモデルです。

ドマーネシリーズとともにトレック社が今年度リリースしたニューモデルとなります。

 

競技用自転車にかかわって45年になります。

しかし今回のニューモデルのように今までのものと明らかに違うというのは、

私が見たところ、過去に一回しかありません。

 

最初は、私にとって18年ほど前、

トレック社のOCLVフレーム 同じ年キャノンデール社のCAD3フレーム

 

カーボンフレームはトレック社がアルミフレームはキャノンデール社がそれ以後の業界をリードしていたのは間違いありません。

しかし、ここ数年その差はかなり小さくなってきたと私は感じていました。

そして2013年、トレック社のニューモデルドマーネとモデルチェンジしたマドン5シリーズ以上のモデルは、

私にとって2回目の革命


マドンは素材にあったジオメトリーやブレーキの位置に、ドマーネはサスペンションとジオメトリー、

おそらく2014年モデルは他社も同じようなモデルを投入してくることでしょう。

この2モデルともすごいのですが、おすすめはマドン5以上のモデル!


明らかに軽く走れます。

踏み出しの軽いモデルは普通高速域からの加速はにぶいものでがこのモデルは違います。

すごい、高速域からの加速もよく伸びます、オールラウンドに使えます。

 

5シリーズはこの走りでこの価格、費用対効果は間違いなくNO1です!

 

2013/1/17

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