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入部師匠

師匠との出会いは、私が大学一年の途中、10代の頃でした。
48年前、奈良にある自宅へ初めて師匠のところへ。

大会で知り合った弟さんに会いに行ったのですが、何かオーラを放つ人がいました。
その人が、入部正紀師匠でした。

その後は、弟さんを1とすると、師匠とは9の割合で
「イリベサイクル」を拠点に行動(遊んでいました)していました。

師匠は競技の先輩で、時々アドバイスをくれます。 適格です。

楽しく苦しい練習でしたが、楽しければ苦しいことはどうってことはない。

そして、いつしか作業場の居候になり、私は大阪の大学に通いながら奈良にある入部師匠のもとへ自転車で通うことになります。 
毎日、学校→トレーニング→作業場のルーティンワーク。
いつしか作業場が、私の居場所になりました。

あの頃、私はいつまでたっても帰らない変な奴でしたが、
師匠やお父様やお母様は一度も嫌な顔をされたことはありません。

食事を作ったからと晩御飯や昼飯をいただいたのも数えきれないほどありました。

果たして作業場では、師匠の仕事の手伝いが出来ていたのか?
今考えると、迷惑をかけていなかったのか?

師匠は仕事を私の前で黙々と行い、ある日その仕事を「これやっといて」
と声をかけてくれます。

私:  目の前でやっていた作業をするもうまくできません。

師匠: 「あっそうか」「いい!!俺がやるから」

そしてまた、私の前でその仕事をやります。
私:  「ああ!そうかー!」うまくできない理由が分かり
    「私がやってみていいですか」

師匠: 「そうかやってくれるのか」
    「おぉ!出来ているじゃないか」「じゃあ、頼んだぞ」

師匠は、手取足取りは教えてくださいませんでしたが、
私にとって一番いい方法で色々なことを教えていただいたと思っております。
そんなやり取りが何度もありました。

その後、何年か経ち鹿児島に帰り
念願だった自分の店を開店させました。
思ったように事が運ばず、苦しい経営が続いていました。

久しぶりに奈良にある師匠のもとへ。
仕事の話しをし、厳しい状況であると報告すると、
「ちゃんとしたホイールを組めるのはお前だけだろう」「やっていけるよ」
師匠に言葉をかけていただきました。

当時、イリベサイクルでの私の仕事を見ていてくれたのだ。
その言葉を聞いて、勇気百倍!
たぶん、私の表情も変わったことでしょう。
店の経営も一気に好転しました。

あれから時が流れ、新元号「令和」を迎えました。

師匠、有難うございました。

昭和、平成の中で傑出したフレームビルダーでした。
令和元年5月3日に入部師匠がお亡くなりになりました。
私にとって大恩人です。
師匠からいただいたご恩は、後輩へ繋いでいきます。

 

※写真は、5月14日・15日に入部師匠に会いに行きました。
奥様に頼んで、思い出のある「ニップル回し」を形見にいただ来ました。
 「師匠、ニップル回し、僕がいただきましたよ」

 

鹿児島の歴史ぶらり散歩  ~ 磯方面編 ~

 

 3月28日 村場さん 山田2人 計3人で磯方面に行ってきました。

 

 

 私、山田の今回の目的は仙巌園内にある反射炉跡と錫門を

もう一度見てみたいという希望がありました

 

 

 朝10時、村場さんをピックアップして、途中、磯街道にある琉球松によりました。

 

ここには灯篭と松があるわけですが、この灯篭は夜道の明かりではなく

 

磯浜に入る琉球からの密貿易船の目印(灯台)だといわれています。

 

 

 そのあと、異人館(紡績所技師館)へ、

国道10号線を車で通る時に外から見ることは多々ありましたが

50年前自転車でぶらりと、遺跡巡りをして以来です。

 

 

異人館の中は薄暗い記憶しかなったのですが、今回とてもきれいになって閲覧しやすくなっていました。異人館の説明などもよくできています。

司馬遼太郎氏も訪れたこの旧鹿児島紡績所技師館へ機会があれば、

またいってみたいです。

 

 

 そして、薩摩切子の工場見学の後、製品見学(販売所ぶらぶら)。

 

 

 いよいよ、仙巖園内へ、反射炉跡は入口のすぐ目の前。

しかし小学生のころ見た反射炉跡の記憶は今回見た大きさの2倍でした。

子供の頃の記憶っていい加減なものだなと思ってしまいました。

 

 

 いい加減な記憶といえば、50年前カメラを持って遺跡を巡りました。(1人で)

 

今度は、拓本を作ってみたいという考えが浮かんできました。

そうだ、もう一度遺跡巡りをしよう!

1人で移籍巡りをするより「歴史好きの村場さんも誘おう」ということになった。

 

 

 知覧に連れていき拓本の話しを、武家屋敷保存会の森氏(自転車仲間)と

話をしていたら森氏が村場さんに

「お前はなんで山田の趣味に付き合っているんだ」

「俺は高校時代、こいつに付き合わされて遺跡を廻らされた」

「山田そうだったよなぁ」と森氏

「えーーーえ 一人じゃなかったっけ」と私。

 

すっかり忘れていました。人の記憶ってあいまいですね(笑)

 

 

 仙巖園内を錫門へ歩いていると示現流の展示してある場所がありました。

 

最強の武士集団新選組、鬼の規則 敵にあったら絶対に逃げてはいけない。

逃げた場合、切腹、もしくは斬首、しかし薩摩藩士とは問題を起こしてはいけない。

 

彼らからも、恐れられていたようです。

 

その最強武道の示現流の展示があります。

みんなにもこの武骨で最強の剣術を見てもらいたいです。

 

 

 そして錫門(すずもん)、あれ思っていたものより小さい。

薩摩伝統の錫をつかった瓦。

 

貴重品だから、この大きさで いいのか。

 

 

 朱塗りの錫門をくぐりお屋敷へ行ってみると、なんとお屋敷内が公開されていました。

 

迷わず、お屋敷内を見学。 屋敷内には、池のある中庭があります。

広い、さすがお殿様の別邸、洋風応接間や沢山の部屋、お風呂もありました。

 女性の係りの人に「部屋が多いですね」とたずねたところ、

 

以前はこの裏にも屋敷があり今の1.5倍ぐらいの広さだったようです。

 

 

 お屋敷を出て裏の山道を歩いてみました。

3月も末、山道には桜が咲き、花びらが風に乗って綺麗です。

すれ違う外国からのお客様も満足げな様子です。

 

 

遠い昔、何度も、仙岩園には入園していましたが、お屋敷内、奥の庭、

 

桜のきれいな山道、発電所、浄水施設、水力を利用した精米機(迫ン太郎)など

 

初めてのものがたくさんありました。

 

 最後の方は時間が迫っていたので、急いでしまいました。

また、今度ゆっくり歩いてみます。

 

~平成31年は私にとって記憶に残る年です~

 

 平成31年は私にとって記憶に残る年です。

 

店を初めて40周年という記念の年です。

 

そして、私個人として小中学生の頃、明治という元号は

 

歴史上の元号であると認識していました。

 

昭和→大正→明治→江戸と過去に戻る元号です。

 

新年号→平成→昭和 3つ戻る歴史上の元号に私の誕生年号が入ってしまいました。

 

昭和は遠く成りにけり。

 

      そして60年前に母に連れられ武之橋の電車道路まで連れていかれました。

 

「今日、皇太子さまの結婚の車列が通る」との事で出かけて待っていました。

 

皇太子さまと妃殿下の馬車が私たち大勢の前を通過しました。

 

7歳の私の記憶の中に今でもはっきり覚えています。

 

その皇太子さまが天皇になられ即位30年、そして今年新天皇陛下が誕生します。 

 

何かいいことが始まりそうでウキウキします。

 

 

 「サイクルフェスタin桜島 2019 」の応援に行ってきました。

 

 

サイクルショップ 茶輪子 40周年後の初のレースが224日に開催されました。

 

まず、志學館大学の木村選手、タイムトライアルはうまく活躍できていませんでしたが、

 

2戦のヒルクライムレースはJCF登録選手のプロも走るなか

 

5位は素晴らしい成績だったと思います。

 

同じ登録選手の林コナン選手も頑張っていました。

 

 

 

鹿児島大学はエース千々和選手がインフルエンザの影響で思い通りの

 

走りができませんでした。

 

その分、後輩選手達が頑張ってくれました。

 

 

 

1戦の年代別タイムトライアルで、男子20歳以下で 馬場埼選手が2

 

男子20歳以上で、牧野選手が3

 

2戦の年代別ヒルクライムで、男子20歳以下で 馬場埼選手が3位 

 

男子20歳以下で 西尾選手が3

 

 

 

そして、DeerMagLeevの川原選手が男子30代以上で 2

 

また、男子50歳以上で DeerMagLeevの渡辺選手が2

 

 

 

若い選手からベテラン選手まで、みなさん頑張ってくださいました。

 

今回、結果が残せなかった選手も、トレーニングは裏切りません。

 

練習を続けていきましょう。

 

 

 

41年目のスタートでみなさん 大きな結果を残せました。

 

これからも小さな力ではありますが、みんなと一緒に努力いたします。

 

がんばりましょう。

 

 

内倉先輩の墓参りに行ってきました。

 

 

 

50年ほど前、私たちは鹿児島 太陽国体へ向けトレーニングをしていました。

 

内倉先輩は無口な方でしたが、黙々とトレーニングをする方です。

 

7歳上の先輩は、走りで選手とはこうあるべきと私たちに示しているようでした。

 

私の眼には走る哲学者という風に見えていました。

 

 

 

先輩とは鹿児島と鹿屋で離れていたため合宿と試合以外では

 

ほとんど会うことはありません。

 

しかし、一緒に走るとその強さと自分に対する厳しさを私たちに教えてくださいました。

 

 

 

大分の合宿で大雨 路面に水が積もると思えるぐらい雨が降った日

 

朝から練習中止と監督から告げられ緊張がゆるみ部屋でブラブラしながら

 

相部屋仲間とふとフロントへ行ってみました。

 

 

 

先輩がウエアーに着替えヘルメットを持っています。

 

皆一気に緊張が走り「内倉さんちょっと待ってください。私たちも行きます」

 

慌てて部屋に戻って着替えていると「誰かが内倉さんだぞ 頑張ろう」と言いました。

 

そして大雨の中、2時間程走って合宿所に帰りました。

 

内倉先輩でなければたぶんあの仲間は走っていなかったと思います。

 

 

 

 先輩は岩手国体のロードレースで16位でゴールしています。

 

当時、実業団登録選手、学連登録選手以外の方では最上位ではないかと思っています。

 

 

 

2020年、いよいよ鹿児島国体が再び開催されます。

 

内倉先輩も空の上から応援していると思います。頑張りましょう。

 

2018年 1113日 74

 

体は小さかったですが、大きな存在の選手が亡くなられました。

 

2019/1/10

 

 

ディスクブレーキの自転車のホイールを考える。

世界の流れの中で私の好き嫌いとは関係なしにディスクブレーキ搭載の自転車は間違いなく増えてきます。フレームとフォークはそれなりにメーカーによる研究が進み、高性能化し、いい商品が出来るでしょう。

 では、試合用ホイールはどうでしょう?

リムブレーキの場合は前輪は12~20スポークでラジアル組みが主流です。私は前輪を固くかつ軽量にしたくて手組みの場合は昔からこの組み方でホイールを組んできました。

スポークはリムセンターをしっかり出し、縦ブレも無いように組み立てます。そして左右のテンションもきっかり同じにしないとコーナーを攻める時によれてしまうために、しっかりと締めます。

 大昔は32スポークで組んでいましたが、現在はリムの強度とスポークの強度が上がってきたので、空気抵抗を減らすためにスポークを減らすことが可能になり、12スポークのホイールも登場しています。

 ディスクブレーキ用のホイールの前輪は、ローターでブレーキをかけるため、ローターからの力が伝わりますのでタンジェント組みでしか組めません。さらに20本以上のスポークで組み付けることになり、回転部の空気抵抗の増加や、重量の増加は間違いありません。

 さらに左右でテンションが違うため走行に影響が出るのではないかと考えています。

いっそナローハブを用いて左右のテンションを一緒にしたらどのような影響が出るのか気になるところです。

 後輪については全く問題ないと考えており、むしろディスクローターが着くことで左右のテンションが近くなっており、良い走りが出来るのではないかと思っています。

ホイールメーカー様はできれば走行時の走りを数値に出して、リムブレーキ・ディスクブレーキ

のモデル両方のホイールの違いを教えてほしいと思っています。

 今度手組でホイールを組む場合、ディスクローター用のハブで、リムブレーキホイールを組んでみたいと思っています。

私は今のところリムブレーキのロードレーサーをオススメしようと思っています。

2018/12/18

MTB草創期の人

家の整理をしていたら、古い雑誌を見つけ、つい整理を忘れ、雑誌を手に取って読んでしまいました。

「今、アメリカではこんなことが流行っています」と紹介の見出しでMTB草創期の人々が写っている写真が載っていました、当時は「そうか、そんなものが流行っているのか」ぐらいに思っていましたが、20数年ぶりに見てみると、アレ、この人はゲーリーフィッシャー、その隣はジョーブリーズ…その隣にはエリックフレッチャーこの人は友達のお父さんじゃないか、そういえばミルバレーの山々をゲーリーと一緒に走っていたと言っていたな。

お父さんは昨年2017年に亡くなっています。

 

彼はゴールデンゲートパークの近くでサイクルショップを経営していましたが、5年ほど前に店を閉じました。背の高い愉快なお父さんでした。

2018/12/10

アーリー事件

 先日のレポートでS君が久しぶりに帰国、来店されたことを書きましたが!

今度はU君も久しぶりに帰国、来店されました。

彼もまたS君に負けないぐらいの破天荒な学生でした...

指宿からトライアスロンのトレーニングを兼ね毎日通学するパワフルな選手でランと自転車は得意なのですが、私どもの中では泳げない(とても苦手)トライアスリートとして有名でした。京都で行われたバイアスロン(当時ディアスロンをこう呼んでいました)で優勝しています。ランと自転車は本当に強かったのですが、トライアスロンでは無名な選手だったが為にテレビ中継では注目されておらず、スタート風景でちらっと映ったあとは有名選手をテレビカメラが追いかけた為、彼が次に移ったのは表彰式だったという彼らしい優勝でした。現在シアトルで仕事をされ成功されているようです。

息子さんの進学先の情報収集に帰国されたとのこと、以前、U君とのエピソードNo.1をレポートに上げましたが、知らない人の為にもう一度書きます。

 ある日の昼、「山田さん!飯食いに行きませんか?」おうU君、そうだな今はお客さんいないし行こうか。なんと昼食の為に店を閉めて車で出かけました。「山田さん、いい店があるんですよ」そうか、じゃあそこに行こう。ここです“アーリー”U、ここ焼肉屋じゃないか、お前ベジタリアンだろう?「いやいや、ここにおれの好きなメニューがあるんですよ!」というわけでアーリーに入店、なんか好きなもの注文しろよ、おごるよ。

「何言ってるんですか、僕が誘ったんで自分のは自分で払いますよ!」そうか、ウェイトレスに昼定食を注文し、U君は「じゃ、おれはサラダバーで」ウェイトレスはサラダバーだけですか?「ベジタリアンだから」ウェイトレスはわかりましたといって戻っていき、しばらくするとサラダボールが持ってこられた。「先に食っていいですか?」にいいよと返事を返すと、サラダバーから山盛のサラダを持ってきてあっという間に食べてテーブル備え付けのティッシュでサラダボールをきれいに拭き始めたので何をしているのか聞くと、

「次のサラダを違うドレッシングで食べたいのでドレッシングが混ざるのが嫌なんです。」

というわけで、私の昼定食が出来上がってくるまでに彼はサラダボール5~6杯食べ、ティッシュの山がそこにはありました。そして会計の時、ああ、今日は俺がおごるよといったのに対して、「何言ってるんですか自分の分は自分で払うといってるじゃないですか、山田さん、はい、僕の分50円」と50円を手渡され「払っといてください」と言われました、おい、サラダバーの50円は何かメニューを頼んだ時につける価格じゃないのかと聞いたら、「山田さん、メニューにはそんなこと書いてありませんよ。ハイ!50円よろしく」

    山田 心の声(ゼッタイこいつとは飯食いにいかない)

でも、一緒にいると人懐っこく楽しいアスリートでいい人なんですよ、実家は三重県なのに帰国したときは必ず寄ってくれます。

 

 楽しいU君にあえていい日でした。

2018/11/24

20年ぶり、Sさんの来店

先日霧島市出身現アメリカ国籍のSさんが来店されました。丸くなっていましたがすぐにわかりました。

当店がレース活動を一生懸命行っていた20年以上前によく来ていた方です、顔を見合わせるとすぐに「ぼくがわかりますか?」と問われたのですが、あ!ツールドトランプに出場した...ここまではすぐにわかりました、少しのタイムラグがあってりゅういちだよな元気にやっているね、彼の高校からの経歴はここではお話できませんが絶対に誰も信じてもらえない、日本の歴史上でもなかなかいないようなぐらいの経歴です。本にすれば絶対売れる!

私の知っている中で頭の良さNo,1、そして変人No,1でもあることは間違いない、そして世界の人々に貢献している人上位にいるのは間違いありません、いい人に会うことが出来るいい日でした。

2018/11/10

 

火を噴いた若手(ヤング)パワー

 12月23日第一回かのやサイクルフェスティバルにフノキ選手、キラ選手、シラカワ選手、コバ選手の若手とサイトウ選手の男子5名、女子選手は美人姉妹ムラバ選手2名、計7名の茶輪子練習仲間が参加しました。

 なんとスタートして間もなくフノキ選手が落車。しばらくしてキラ選手も落車、それにシラカワ選手が巻き込まれて落車。コバ選手はやや離れていたので落車は免れました。その後シラカワ選手は一人で懸命に追い上げ、なんと1分以上の差を詰め最終周に2位まで自分の順位を上げました。その後4位でゴールになりましたがいい走りでした。また、キラ選手はホイール交換の後トップの選手に追いつかれる寸前でレースに復帰。ペースを上げてすぐ後に見えていたトップの選手を見えなくなるまで引き離し、周回差つかずに7位でゴール、いい走りでした。フノキ選手は落車後しばらく動けない状態でしたが、周回遅れでレースに復帰。トップ選手と2位グループの間でレースを展開し、ほぼトップ選手と同じペースでゴールまで走りました。いい走りでした。

 久しぶりにワイルドな走りを見せてもらいました。いいメンバーが育っています。サイトウ選手は50代とは思えない走りで、最後まで多くの若い者を後方に追いやっていました。

 小学生ムラバ妹はたんたんと走り女子1位。中学生の部ムラバ姉はパレード走行後いきなり落車。トップグループを男子と2名で懸命に追い、少しづつ差を詰めるもとどかず。2名で今回のレース最高のゴール勝負、1/100秒差で男子を振り切りゴール。もちろん女子1位です。

2015/12/24

私とサンツアー

サンツアーの河合淳三さんが6月に亡くなられました。

カンパが世界No,1と言われていた頃、大学生だった私にはカンパは高嶺の花だったので、私はサンツアーのFディレィラー・Rディレィラーを愛用していました。

それなりに満足していました、あるとき先輩のお下がりでカンパヌーボレコードのリアディレィラーをいただき幸せいっぱいでこれを装着し、翌日に150kmロードトレーニング、しかしその夜には元のサンツアーに取り換える作業をしている私がありました。

 私の独断ですが、当時のサンツアーのリアメカは世界No1のリアディレィラーであったと思っています。その後カンパのFメカもお下がりがあったのですがこんなものどうでもいいんだけどと思いながら装着、しかしその後このFメカは私の愛車に付けたままとなりました。

私の短いレース経験の中でサンツアーのリアディレィラーは日本初の世界No1パーツ1号ではないかと思っています。

その後のシュパーブグループなどで日本のレースシーンに強烈な印象を与えた前田工業、その前田工業を率いていた河合淳三さんが亡くなられました。

 

さみしいかぎりです。

2013年12月5日(木)HSR 6時間耐久レース

12月1日 熊本のHSRで6時間耐久レースが行われました。

今年3月から始まったトレーニングの会、そこから生まれたマグレーブを主体とする2チームとソロ1名の計12名が参加しました。ソロの戸澤君は落車をしてしまい途中棄権となりましたがこれも実力のうち。トップグループを走っていただけに本人も残念だったでしょう。しかもレース後に予定があるため行き帰りともレースと同じソロ帰り。その名は落ち武者。

約8か月のトレーニングで主力参加者の全員が何らかの形で表彰台に登ることが出来ました。今年は年間で15名が表彰台。上出来です。トレーニングの基礎部分でこれだけの結果が出来ました。頑張った成果です。おめでとうございます。

来シーズンは初心者の方への今年とほぼ同じメニューを、今年参加された方へは次のステップへのメニューという

、2タイプのトレーニングを行います。

サイクリングの方には自転車の基本的な乗り方について教えます。2~3回参加していただければ大事な事を教えられますので是非参加されてください。

なおHSR当日のレースレポートは参加した野下選手が土日にアップします。

HSR九州6時間耐久リザルト.
HSR九州6時間耐久リザルト.pdf
PDFファイル 1.4 MB

2013/12/5

2013年7月22日(火)オートポリス 3時間耐久レース

至る7月15日、大分県のオートポリスで「オール九州3時間耐久ロードレースINオートポリス 第2戦」が行われました。

そこに私たちのトレーニング仲間が7名出場しました。

 

4か月前まではまったくの素人

ここ1か月半ほどはそれでもトレーニングというレベルの時間とレベルでした。

実質2か月半ほどのトレーニングでこのレースに出場しました。

 

私の予想では10位くらいに1名、20位くらいにもう一名、

さらに皆それなりの走りをしてくれると信じていました。

結果は下記のとおりです。

 

しかし、わずかなトレーニング期間でありながらも何年もトレーニングを積んできた選手たちとそれなりのレースを楽しんでくれました。

 

正しいトレーニング方法を行うとレベルの向上はそれほど難しいことではありません。

皆さんもいいトレーニング方法で楽しんでください。

 

大会結果

2013/7/22

2013年7月22日(火)ホイール

「良く走るホイール」雑誌などでよく特集がくまれます。

そこには段違いな走りをするようかのような評価を書かれています。

 

しかし、レース結果を見てみたり、試乗をしてみるとディープリム同士ではそれほど大きな差があるようには思えません。

わずかな差を大げさに書いているのではないかと、私は思っています。

 

ほぼ15年ほど前の私の手組のホイールを当店でレース用にレンタルしていますが、

最新の完組ホイールをお持ちの方もときどきそのホイールを貸してもらえないかとレンタルに来られます。

ディープの厚みが同じならホイールを組みつける技術の差が走る走らないの差ではないかと考えています。

2013/7/22

2013年4月9日(火)ホイールバランスは必要か

お客様から、ホイールバランスは必要か?という質問がありました。

 

普通に考えると必要である、しかしこのバランスを取る機械を私は購入していません。

バランスに敏感だった時代が過去にあったのも事実です。

バランスを取るその商品はいつのまにか廃盤となり消えていきました。

 

私が選手のころホイールを手に取って回すと上下に振れ重心の狂いを感じました。

しかし、自転車競技場でこのようなホイールを使い徐々に70kmほどまでスピードを上げるバイクペーサーをしても、どのスピードでも異常振動は感じたことがありません。

きれいな走路で走るので、ホイールの問題以外、ほかの要素はほとんど入ってきません。

 

理論上は必要であるけれども本当にどの程度走行に必要なのか疑問を持っています。

特にマビック社はわざと重心をずらした後輪を発売していた頃がありました。

カンパニョーロ社は種目によって重心をずらした物とそうでない物を販売していました。

バランスが取れているのは本当に効果があるのか今考えているところです。機械そのものはたいした価格ではないのですが・・・。

車のホイールがよく例に出されるが、変形しないホイールとタイヤの組み合わせです。

しかし、自転車のホイールは上下や横方向にも変形しながら走っています。

体重が乗った状態での前輪、後輪、それぞれのバランスの取り方があるのではないでしょうか。

現在マビック社は完組ホイールタイヤ付きの販売を行っています。過去に重心にこだわった時代があります。

タイヤまで開発されたのであれば真の完組ホイールです。

 

ホイールバランスが必要であれば今こそ全てのホイールメーカーが完組ホイールをで販売してほしいものです。

タイヤのバラツキを考えるとタイヤ交換のつどにバランスをとることになります、費用対効果はまだ疑問に思っています。

 

2013/4/9

2013年1月17日(木)2013年モデル マドン5シリーズ

これからロードの購入を考えている方はこのモデルの

試乗をしてから購入する自転車を決めてください。

 

このモデルはチェーンステーにブレーキを取り付けた最初のロードモデルです。

ドマーネシリーズとともにトレック社が今年度リリースしたニューモデルとなります。

 

競技用自転車にかかわって45年になります。

しかし今回のニューモデルのように今までのものと明らかに違うというのは、

私が見たところ、過去に一回しかありません。

 

最初は、私にとって18年ほど前、

トレック社のOCLVフレーム 同じ年キャノンデール社のCAD3フレーム

 

カーボンフレームはトレック社がアルミフレームはキャノンデール社がそれ以後の業界をリードしていたのは間違いありません。

しかし、ここ数年その差はかなり小さくなってきたと私は感じていました。

そして2013年、トレック社のニューモデルドマーネとモデルチェンジしたマドン5シリーズ以上のモデルは、

私にとって2回目の革命


マドンは素材にあったジオメトリーやブレーキの位置に、ドマーネはサスペンションとジオメトリー、

おそらく2014年モデルは他社も同じようなモデルを投入してくることでしょう。

この2モデルともすごいのですが、おすすめはマドン5以上のモデル!


明らかに軽く走れます。

踏み出しの軽いモデルは普通高速域からの加速はにぶいものでがこのモデルは違います。

すごい、高速域からの加速もよく伸びます、オールラウンドに使えます。

 

5シリーズはこの走りでこの価格、費用対効果は間違いなくNO1です!

 

2013/1/17

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里咲の歴史探求のコーナーを追加

第一話 知覧レポート

第二話 桜島レポート

第三話 知覧、水車からくりレポート を追加しました。

NEW ニュース IRIBEフレーム第1号車は鹿児島にあります。

  

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