鹿児島歴史探検隊 

 

~知覧戦争遺跡を巡る旅~

 

 2021年 1010日(日)天気は晴れ

知覧市役所に集合。 

 

小学3年から69歳まで。

鹿児島市内から6名、知覧が3名、川辺1名の計10名のメンバーです。 今回は「知覧の戦争遺跡」を自転車で巡ります。

 

 

最初の目的地である特攻平和観音堂に向かいます。

市役所から出発し、すぐに坂を上っていくと、左右の道路沿いに石灯ろうが我々を導きます。

 

平和会館へ行くまでの入口には、桜並木のアーチがあり、春先はきれいな桜の花が咲くそうです。

ここを過ぎると駐車場があります。ここから先は、自転車を駐輪して歩きます。

知覧が舞台の映画で使用されたとされる、陸軍戦闘機(りくぐんせんとうき)があります。

全国から集まった勇士たちが、戦闘機に乗って知覧から飛び立っていったのです。

この地には、飛行兵の訓練所があり、まだあどけなさの残る17歳の勇士の姿もあったと聞きます。

 

目の前に藤のトンネルがあり、ここをくぐって、特攻平和観音堂へ。

 

特攻平和観音堂には、太平洋戦争末期の沖縄戦において亡くなられた特攻勇士の霊を慰める目的で

観音像が安置してあるそうです。「観音像の体内には特攻勇士の芳名を謹記した霊名録が奉蔵されています」

という説明文もありました。 

戦争でご先祖をなくされた親族以外にも、県内外から多くの方々がお参りに訪れます。

 

観音堂の左隣には三角兵舎(さんかくへいしゃ)があり、中に入ってみました。

狭い通路の両側に8枚ほどの薄い布団が敷いてあります。

この兵舎の中で、出動命令が出るまで待機するのがどれほどつらかっただろう。

 

そして、また自転車で再度出発、野球のグラウンド沿いにある次の目的地に向かいます。

弾薬庫(だんやくこ)が見えてきます。この中には当時 射撃訓練の弾が入れてあったそうです。

弾薬庫の壁に少し深い穴が開いています。これは、戦闘機からの弾丸跡だと教えていただきました。

そこからUターンして油脂庫に向かいます。油脂庫は滑走油などが保管してあったという。

そこにも弾丸跡。空襲をうけたときの傷跡があります。

 

次は、給水塔(きゅうすいとう)に向かいます。

飛行場は陸地なので水の確保が難しかったため、この給水塔を使ったと聞きます。

ここ給水塔で、写真撮影をしました。 

この給水塔は少し傾いているので、遠近法を使って給水塔を支えるポーズをとって撮影してみました。

結構面白い写真が撮れました。

 

給水塔の後ろには防火水槽跡(ぼうかすいそう)があります。

内部に階段が3段あり、円形だったこの水槽は、当時4つあったと言われています。

今は、この1つだけ。この地に移されたそうです。

次は、山砲座跡(さんぽうざあと)を目指して猿山を登ります。

この山はとても急な坂道です。

悪路で険しい坂です。自転車で上ったのですが、とても疲れました。

ようやく、山砲座跡の碑の前に来ました。

そこには対空火器が配備されていたと書かれていました。

分解された山砲を、人が肩に担いで、この険しい山頂まで運んだとされています。

知覧一帯を守るため、爆撃機に狙いを定めていたのでしょう。

 

今、この山頂から眺めるのどかな景色。

遠くには緑の山々。そして手前に田畑が広がり人々の暮らしがあります。

当時の空襲をを受けたとされる情景を今、思い浮かべることは出来ません。

我々の先祖、人生の先輩方がこの平和な世の中を託してくださいました。

知覧の武家屋敷群は、爆撃機の標的にされず、奇跡的に今でもそのたた住まいを残しています。

最後に、山頂から飛行場跡があったとされる景色を一望し、平和の鐘を鳴らして下山しました。

他にも、山頂には豊玉姫伝説最後の豊玉姫が座った石がありました。

そこで豊玉姫がどうやって知覧に来たのか、森さんの話を聞きました。

急な下り坂なので、ゆっくりゆっくりブレーキをかけながら猿山を下ります。

 

途中、小学6年生が書いたサルの絵が描かれた看板があり、楽しませてくれます。

下を向いて走っていくと道路脇にマムシグサという毒を持つ植物が生えていました。

 

次は、掩体壕(えんたいごう)に向かいます。

広大な敷地内に、戦闘機がありその周りを「コの字型」の爆弾除けのシェルターがあります。

また背景には背の高い木々が見えます。戦闘機を隠しているようです。とても迫力あるロケーション。

シェルターの後ろには穴の跡があり、それらは、蛸壺(たこつぼ)と言われていたそうです。

地面に体が一つ入るほどの小さな穴跡で、そこに人が身を潜めていたというお話でした。

今その穴は、土で埋められています。

 

最後の目的地は三角兵舎跡(さんかくへいしゃ)です。

観音堂の隣にあった三角兵舎は移動されたもので

元はここにあったと書かれていました。

本当は、同じ広さだと思うのですが、大人一人が横たわると、とても小さく感じました。

この日も、年配の女性が2人、三角兵舎跡を訪れていました。

 

これにて本日の、知覧の戦争遺跡サイクリングは終了です。

 

知覧市役所に帰ってゴール。 今日は、合計16kmのサイクル散歩でした。 

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