時はさかのぼり1225日。私はふと思った。「そうだ、東南アジア、行こう。」というわけで私は212日福岡発228日福岡着の航空券を予約した。そして211日、福岡に大雪が降った。翌12日の電車やバスに遅れが生じ、飛行機に間に合わない可能性を危惧した私は11日の夜10時の新幹線に飛び乗った。福岡に着いたら辺りは銀世界。今夜はどこにも泊まる場所がない。ホテルは勿論ネットカフェも満員だ。私は博多駅構内で一夜を明かすことにした。暖房の切れ他駅構内は気温が外気と変わらない。翌日に赤道付近に行く私はかなりの薄着をしている。ひたすら駅構内を歩き回った。自転車を梱包した段ボールにしがみついて暖を取った。そして翌日、空は昨日とはうって変わって見事なまでに晴れ上がり、雪はアスファルトに吸い込まれていった。

 

 1日目 私は福岡空港カウンターで衝撃の事実を耳にすることとなる。「超過料金はないです」ええっ!?私は大韓航空のチケットを取ったとき、大韓航空の受託手荷物について調べていたが私の自転車はその制限長を確実に超えていたはずだ。しかし、超過料金を覚悟していた私は思わぬところで節約ができたと小躍りした。しかし、心配事が一つ。私は仁川国際空港経由でマニラに渡るわけだが、仁川では荷物をぼこぼこにされるという噂をよく耳にする。私は念のためディレイラーのみならず、ディレイラーハンガーまで外していたが、それでもやはり心配だ。

 

 212日深夜1200。おっと、これは日本時間だ。日本とフィリピンの時差は1時間。つまり今は212日深夜1100。空港の外に出たとたん、喧噪に全身が包まれた。また、とにかく暑い!そりゃそうだ昨日は3℃、今は27℃、とてつもなく暑く感じる。とにかくまずはSIMカードだ。Docomoのスマホを利用している私はあらかじめSIMロックを解除しておいて、現地のSIMカードで通信しようと考えた。しかし、SIMカードを購入してスマホに挿入すると、SIM暗証番号なる物を入力せよと表示された。SIMカード番号を入力しないとSIMカードは使えないようだ。え?SIMロック解除したらあとはどの会社のSIMカードを挿入してもAPN設定さえ行えば通信できるんじゃないの!?なんだか騙された気分だ…とにかくこれで私はWi-Fiが無いと通信できない人間になってしまった。Wi-Fiルータを買えばいいじゃないかという声もあるだろう。しかし、問題が一つ。高い。というわけで無料Wi-Fiを探して使うことにした。「そんな、フィリピンみたいな後進国に無料Wi-Fiなんかあるわけ無いじゃん」という声が聞こえる(気がする)実はフィリピン、かなりのWi-Fi先進国なのだ。Wi-Fiの無いホテルを見つける方が難しいし、モールやファストフード店にも大抵ある。

 

 話が大幅にずれてしまった。SIMカードが使えなくなった僕を見かねてSIMカード売りの兄ちゃんが僕に自分のWi-Fiをちょっとだけ貸してくれた。これで今日のホテルまでの地図をダウンロードできる!ありがとう!そうして私はようやく自転車の梱包を解き始めた。段ボールが一部破れている。どきどきしながら自転車を組み立てる。大勢の人の目が僕に注がれ、非常にやりにくさを感じつつ、大事な道具や部品を盗られないように気を配りながら組み立てていった。よし、できた!20分弱掛けてようやく完成。リアバッグにいろいろ詰め込みすぎて重い…これほんとに大丈夫か!?っていうくらいの重さだ。私はさっきのWi-Fiを貸してくれた兄ちゃんにお礼として知覧茶をプレゼントした。その兄ちゃんといろいろ話している間に私の自転車はライフルを持った警備員に囲まれていた。私が近づいていくと、待ってましたといわんばかりに口々に質問してきた。

 

「おまえ、韓国人か?これ、どのくらいの重さなんだ?持ってみてもいいか?」

 

うん、いいよ。

 

「格好いいな!!これフィリピンでいうといくらなんだ?なに?1万円?じゃ俺が買う!わっはっはははは!」といった具合だ。全く、人懐っこすぎるって()

 

 そしてホテルに着いたのが213日深夜100。別にホテルが遠かったわけではない。単純に道を間違えまくり、同じ所をぐるぐると回った結果だ。フィリピンの道路には標識が殆ど無い。外国人の私には目印になる物も少ない。さらに日本人には馴染みのない右側通行。ガソリンスタンドで道を尋ねてようやく到着。チェックインしようとするも、英語がうまいこと口から出てこない。どもっていると受付のおねーさんが、あんた日本人?と聴いてきて、カタコトの日本語で私を案内してくれた。恥ずかしくて顔から火が出そうだった。-これにて1日目終了-

 


 

2日目 朝8時インターネットが使えない私はダウンロードしていたオフラインマップを使い、マニラのパサイ地区を出て北へ向かった,,,はずだった。しかし、オフラインマップは私のミスで細かい道路や分岐点、地名などが見えなくなっていた。そのため、自分の現在位置が分からず、都市特有のループ状の道路のせいで同じ所をぐるぐると回り、気がつくといつの間にか南に向かって走っていた。時計は現地時間10時を示していた。腹が減った。のども渇いた。どこかで補給をしなければ!私はフィリピンならばどこにでもある露店に向かった。先ず、ここはどこか尋ねてみる。しかし、店主はうまく英語を解さないようだ。そこで私は伝家の宝刀、タガログ語指さし会話帳開き意思疎通を図った。しかし、それさえもアイ・ドント・ノウとのことだった。諦めて私はそこで1.5Lのペプシを買い、となりのタギッグ市役所に向かった。ここならば、現在位置と目標地点の位置関係を知ることができるだろう。そこではある程度の英語を解する人が居た。ここでも、「おまえ、韓国人か?1人で怖くないか?自転車だけで行くのか?」と質問攻めだ。とりあえず地図を見せてくれと頼む。なるほど、私は真逆の場所にいるのだな。地図を見せてくれた人は私にマニラへ戻れという。冗談じゃない!元来た道を戻るなんて嫌だ!というかそもそもマニラの道路がよく分からなくてこんな所まで来てしまったのに、マニラに舞い戻るなんて、迷いに戻るようなものだ。私はフムフムと適当にうなずき、お礼を言って市役所を後にした。とにかく東へ行こう。このルートならマニラを左に見つつバナウェへ北上できるから迷うことはなさそうだ!およ?こんな所に三叉路が。なんか山に入って行くっぽいし、面白そうだから行ってみよーっと!時計は15:00を示している。まだまともな飯を食っていなかった私はとりあえず屋台で飯を食うことにした。鯖の塩焼きと白米(インディカ米)と野菜で60ペソ。まけろっ!50ペソでどうだッッ!私の気迫に押されたか、面倒臭い客と思ったか、屋台のおばちゃんは見事にまけてくれた!ご飯を食べつつ、私は何者で、どこへ向かうかなど他愛もない話をしつつ、私は「地図はどこに売っている?」と聞いた。おばちゃんは、「そりゃ本屋にあるでしょ。」といった。確かによく考えればその通りだ。日本でも地図は本屋に売っている。何当たり前のことを言っているんだと自分でも恥ずかしくなった。別れ際、おばちゃんに、バナウェに行くのはこっちで正しいかと聞いた。合っていると彼女はうなずいた。「行き止まりじゃねーかぁぁぁぁぁ!!!!」私がそう叫んだのはおよそ30分後の話である。

 

私は元来た道をもどり、坂を下っていた。「次曲がるところはまだ先だよなー」そんなことを考えていたと思う。突然、進路に大きなギャップが現れた!かなりの深さがある。速度も結構出ている。「マズイ!!このままあそこに突っ込んだら確実にホイールが壊れるか、タイヤが逝く!!」と思った私はフロントを持ち上げ、ジャンプしようとした。しかし、そこは緩い左カーブの頂点に当たるところ。私は自転車が傾いていることを認識していなかった。ただでさえ傾いていた自転車は私によって前輪が持ち上げられ、さらに左に傾いた。追い打ちを掛けるように後輪がギャップの端っこに当たり、リアスライドを起こした。「あ、これヤバいやつだ。」と思いながら体は自然に前輪を接地させようとしていた。すぐに前輪は接地したが上半身に力が入りすぎていたためハンドルはガタガタ振れ、完全に制御を失っていた。ブレーキを掛けながら、どうすることもできず自転車は反対車線へ飛び出していく。「ああああぁぁ」と声にならない声を上げながら私は前方回転受け身をするように対向車線へ投げ出された。オルトリーブが飛んでいった。「死ぬかな」本気で思った。しかし、対向車線を走ってくるトライシクルはゆっくり走ってきていたため、私は轢かれることはなかった。後頭部から落ちていった私だが、意識ははっきりしていて、すぐに立ち上がり、オルトリーブのバッグを拾って路肩に移動した。肩に掛けていた釣り竿が真っ二つになっていた。どこをどう打ったか分らないが右肩がかなり痛い。動かせるし、自転車に乗る分には痛みが気にならないため、そのまま走り続けることにした。何故こんな事態に陥ったか。それは荷物をリアキャリアに集中させていたため、簡単にフロントが持ち上がってしまうようになっていたからだ。どれくらい走っただろうか、日がだいぶ傾いてきており、私は今日の寝る場所を探していた。そして日暮れ。そろそろ寝る場所を決めないとまずいなと思い始めたその時、MOTEL(ラブホ)が現れた!一応私は18歳以上だから大丈夫だろうとどきどきしながらチェックインする。特に年齢確認をすることなくチェックイン。12H500ペソ。まあ、高くはないが安くもない。室内が綺麗なのでまあ、妥当だろう。バスルームでシャワーと同時に洗濯をする。テレビで日本の化粧品のCMをやっている。はい、お休みなさい。

 

 

落車して吹っ飛んだオルトリーブを回収してパシャリ。肩がほんとに痛い

 

釣りをしようと日本から持ち込んだ安竿。背中にたすき掛けしていたら落車でぽっきり折れてしまった。残念

結構山がち
結構山がち

 

 3日目 214日 

 

ホテルでWi-Fiをつかい、ありったけの地図をダウンロードしたはずだった。しかし、である。地図がまたもや使えないのだ。私は3回ほど同じ所をぐるぐると回ったあげく、また目的地とは真逆の方へ向かっていた。それを教えてくれたのはビューティー・フィリピーナ。はい、とっても心が洗われる気持ちでした。(^ω^)

 

その後、快調に自転車を進めた。鼻歌交じりに自転車を漕いでいると後ろからサイクリストが近づいてきた。おやぁ?フィリピンには珍しくロードバイクじゃないか。しかもGIANT TCR ADVANCEDだ。フィリピン初カーボンロードだぜぇ!しかし、コンポは5700番105だ。自分は何者か、どこから来て、どこへ向かっているのか、とりとめも無い話をしてしばらく走っていた。フィリピンでも自転車レースはあるのか聞いてみた。どうやら彼は来週レースに出るんだと言っていた。そこで私は「ちょっと競争しようぜ!」と提案した。勝てる自信があったわけではない。ただ気分が高揚しただけだ。3.2.1.スタート!!!!私はめいっぱい踏んで加速した。相手も加速しようと踏み込む!しかし、彼のシューズがペダルから外れ、一瞬遅れた。その間も私はペダルを踏み続け、結局私がスプリント勝負に勝った。こうして自転車乗り同士の言葉のいらない会話を経て心を通わせた僕らはさよならを言い、分かれた。もう二度と会うことの無いであろう彼を見送り、彼は彼のスピードで彼の目的地へ、私は私のスピードであてもなく進む。露店で補給をしながら進む。前方に山が見える。これを今日は超えるのだろう。さあ、今日はどこまで行けるか。私は刺すような、悪魔的な太陽光を受けながら坂を上っていた。「坂きっついし、もう分けワカメですわ。ちなみにきょうはバレンタインデー。ヘッ。チョコレートを送るのは日本だけなんだよ!!僕が今回のバレンタインでチョコレートをもらえなかったのはそういう文化のない海外にいたからなんだよ!!」と誰に言うでもない言い訳をひたすら頭の中でぐるぐるさせながら坂を上る。3時間ほど上った後、私は頂上に達した。ウム、なかなかいい景色だ。さて、下るか。細かいつづら折りが続く表面が荒れたコンクリート道路の上をひたすら下る。こんな道では車より自転車の方が遙かに速い。しかし、昨日のように避けきれないギャップがあったらどうする?そんときはそんときだな()路面状況を見極めつつ、そんなことを考えながら下ること1時間。恐らくこんなに長い間下ったのは生まれて初めてだ。振動のせいで手がびりびりする。右手に至っては感覚が無い。ふぅ、とりあえず休憩するか。私は現地のスーパーマーケットに入った。駐車場の入り口に3人、入り口の自動ドアの外に3人、自動ドアの内側に2人ずつ、ライフルを持った警備員が立っている。なんて厳重なのだろう。明らかに他の人とは違う格好をしている私は変にどきどきしながら自転車を駐車場に止める。警備員が話しかけてきた。「どこに自転車を止めた?ああ、あそこか。自転車に鍵は掛けたか?よし、行ってよし。」てな感じ。自動ドアの所では、「この荷物は何だ?開けて見せろ」というので、キャンプ道具であることを説明し、バッグをがばっと開けて見せた。警備員は私のバッグに棒を突っ込んでちょっと覗いて「ハイOK、買い物楽しんでね~」と難なく通過。私はフィリピンでポピュラーなファストフード店、Jolibeeでご飯を食べた。これが130ペソ。やや割高である。ファストフードで思い出したが、フィリピンにもマクドナルドは存在している。しかし、高い。日本でいう100円マックがフィリピンでは100ペソマックなのだ。1ペソが約4円であることを考えるとかなりの高額であることが分かる。さて、お腹を満たした私はホテルを探す。(この時点で既にフィリピンでキャンプするのは無理ではないかという疑念が持ち上がりつつあった。)スーパーの中であらかじめホテルを検索していた私は近くのドライブインに行った。そこでは1000ペソ。高いので他の所を探す。次のホテルは1200ペソ。論外だ。しかし、辺りはとっぷりと日が暮れ、ナイトランの様相を呈してきている。フィリピンでのナイトランは非常にリスキーだ。ハイウェイと名がついていても急に現れる砂利道、陥没、路上をうろつき、車に無関心な犬や猫。アスファルトの塵と化した彼らを何度も目にした。ということで、私は次に見かけたホテルに泊まることを決意した。3カ所目のホテルも12H1000ペソ。こうなったら値段交渉だ。よし、じゃあ、10H700ペソならどうだ?店長のおばちゃんはウムと頷き、交渉成立。しかし、なんということだろう。Wi-Fiが使えないのだ。なんてこった。シャワーを浴びて洗濯をしてテレビを見る。昨日とニュースの内容が一緒だ。屋台のジュース売りが他人の氷を盗んで使っている話、バレンタインに恋人へプロポーズしたフィリピン軍人の話、スーパーで女の人がスカートの中に商品を入れて万引きする話。あぁ、フィリピンって意外と平和だなーと思いながら眠りに就く。

 

刺すような太陽の光、黒々と光るアスファルト。きれいな景色だが、想像を絶する過酷さだ。

細かいつづら折りを越えて峠の頂上に到着。後は下りのみ。

jolibeeで夕食




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